池田JCメンバー2名が気仙沼へ

はじめに

4月28日~5月1日の間、名村理事長と佐野(私)の二人で近畿地区協議会ナショナル・アイデンティティ構築委員会さんが企画した復興支援活動事業に参加するために、津波で被災した気仙沼へ行って参りました。

私たちはここで体験したこと、感じたことを報告し伝えていくことが東日本大震災の支援に繋がっていくと思いましたので下記のように現状をご報告させていただきます。

 

バスに揺られて14時間、気仙沼に到着。1日目、避難所になっている気仙沼総合体育館で目にしたのは全国から送られてきた山積みされた衣料品でした。今回協力していただいた気仙沼JCの藤田理事長もおっしゃっていたのですが、まだまだ被災された方々に必要な物資が届けられていないとのことでした。

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とにかくまずは男・女・子ども、春夏秋冬用、下着、新品・中古、サイズ別と細かく仕分けする必要があるということでしたので、気仙沼市役所の職員の方々と同じくボランティアで復興支援活動にきていたアリコの社員さんたちとともに全国から届けられた衣料品を仕分けし、それを別の班のJCメンバーが被災者のニーズを聞いて、必要な衣料品を配達いたしました。

ここでの感想ですが、とにかく現場はピリピリした空気がただよっていました。当たり前のことですが避難されている方々をのぞかない、避難所の写真を撮らない、大きな声は出さない、勝手な判断をしないということを何回も市職員さんが注意していました。ボランティアは勝手な行動をしてはいけない。よく言われることですが、ボランティアが「やってあげている」という意識を持つことはNGで、「させていただいている」という意識を持つことが大切であるということを再認識いたしました。

ちょっとの期間ボランティアに参加することで、現地で被災しながらも必死に復興活動を行っている方々の気持ちを少しでも理解したいというのは、おこがましいのかもしれません。現地にはボランティアを好ましく思っていない方もいるということを知らなければなりません。

理事長と私は池田JCでは義援金活動をしていたものの、この度の震災で自分自身に何ができるのか、池田JCとして今後どのような復興支援をしていくべきなのか感じたいと常々思っていたので、現地の空気にふれることができて本当に良かったと思います。

 

2日目、避難所になっている気仙沼小学校で避難している方々はもちろんのこと、地域の子どもたちに少しでも震災のことを忘れて明るく元気になってもらいたいと縁日を開催いたしました。

 

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天気はほどほどでしたが、本当にたくさんの方が来てくれました。それぞれのブースで未来の気仙沼を担う子どもたちの明るく元気なはしゃぎ声が聞えてきました。

また、様々な世代の方々が声をかけてきてくれました。それは、「こいのぼり」のメッセージにもあるのですが、私たちボランティアをねぎらう言葉や感謝の言葉ばかりでした。事前に、ボランティアは達成感を味わうために行うものではないと言われていましたが、、、、すみません、うれしくて仕方がなかったです。。。

 

希望の「こいのぼり」を制作するブースでは目頭が熱くなる場面も多く見られました。被災者の方々が泣きながら書いていたそのメッセージを見ると辛い現実を目の当たりにします。「がんばって」なんて声をかけることさえできません。ただただ一歩でも前に進んでほしい、それだけでした。。。。

 

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縁日終了後、いよいよ希望のつまった「こいのぼり」を掲げに「魚市場」へ向かいました。道路はがれきが撤去されバスが通れるほどきれいになっていたのですが、それ以外はまだほとんど手つかずであると印象を受けました。あらためて被害の大きさを目の当たりにしました。

 

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この度の企画をしていただいた近畿地区協議会ナショナル・アイデンティティ構築委員会の甲村委員長がおっしゃっていたのですが、船が入り魚の水揚げが上がらないと、街の経済活動は機能しない。魚が入ると、水産加工・氷業者・燃料業者・運送業者・飲食業者などすべてが連携して街の機能が復活する。気仙沼のすべての中心が「魚市場」だということです。

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気仙沼の中心である「魚市場」で、希望のつまった「こいのぼり」を掲げるということは大変意義のあることだと思います。ここからもう一度立ち直ろうという想いがこもっているのですから。被災されながら気丈にお手伝いいただいた気仙沼JCメンバーから10年かかるか20年かかるかわかりませんが、必ず気仙沼は復興すると力強い言葉をいただきました。私たちはこれからもJCの横ののつながりを大切にしながら復興支援できればと思いました。

最後にこの機会を与えてくれた近畿地区協議会ナショナル・アイデンティティ構築委員会さんに感謝しなければなりません。これだけの事業を成し遂げるのに、どれだけ準備に時間を費やしたことでしょう。本当にありがとうございました。